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書かれた言葉は、語られた言葉の影である 「パイドロス」を読む - 文脈をつなぐ

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どうも、木村(@kimu3_slime)です。

プラトン「パイドロス(副題:美について)」を読みました。「恋(エロース)とは、良い狂気である」など恋愛の話を始めとして、良い議論の方法・弁論術とは何かを、ソクラテスとパイドロスが対話の中で明らかにしていく。

特に、「書かれた言葉は、語られた言葉の影である」という内容が重要だと思ったので紹介していきます。

 

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書かれた言葉の困った点

僕たちの社会において、すっかり言葉を書くことは当たり前のこととなっていますが、ソクラテスはそのやり方の欠点を指摘します。

注:以下、引用部分の太字は木村による。

ソクラテス じっさい、パイドロス、ものを書くということには、思うに、次のような困った点があって、その事情は、絵画の場合とほんとうによく似ているようだ。すなわち、絵画が創り出したものをみても、それは、あたかも生きているかのようにきちんと立っているけれども、君が何かをたずねてみると、いとも尊大に、沈黙して答えない。書かれた言葉もこれと同じだ。それがものを語っている様子は、あたかも実際に何ごとかを考えているように思えるかもしれない。だが、もし君がそこで言われている事柄について、何か教えてもらおうと思って質問すると、いつでもただひとつの同じ合図をするだけである。それに、言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である書いた本人のたすけを必要とする。自分だけの力では、身をまもることも自分をたすけることもできないのだから。

引用:パイドロス p.166

書かれた言葉は、語られた言葉に比べて、

  • 問いかけても、ひとつの同じ回答しか返さない
  • 適切でない人々に届いてしまう可能性がある
  • 誤解されても、罵られても、応答できない

という側面がある。単に文字が新しいメディアだから否定するのではなく、そこに問答がないから否定していますね。これはブログの文章にも通じることで、確かに書くだけではダメだよなと。

 

 

ソクラテス それを学ぶ人の魂の中に知識とともに書きこまれる言葉、自分をまもるだけの力をもち、他方、語るべき人々には語り、黙すべき人々には口をつぐむすべを知っているような言葉だ。

パイドロス あなたの言われるのは、ものを知っている人が語る、生命をもち、魂をもった言葉のことですね。書かれた言葉は、これの影であると言ってしかるべきなのでしょうが。

引用:パイドロス p.167

ソクラテスは、よく「真実そのもの」と「真実の影(まがいもの)」を区別し断言します。書かれた言葉は、ものを知っている人が語る言葉の影である

これは何回も繰り返したい言葉です。真実が何かを知って語れる人がまず最初にあって、そのおかげで書かれた言葉が生まれていくわけですから。

 

ディアレクティケーの技術をもって、言葉を身につける

ソクラテスは、真実を知り語るために、ディアレクティケー(哲学的問答法)が必要だと説きます。ディアレクティケーはギリシャ語で、英語に直すとdialogue(対話法)ですね。

ソクラテス ぼくは思う、そういった正義その他に関する事柄が、真剣な熱意のもとにあつかわれるとしたら、もっともっと美しいことであろうと。それはほかでもない、ひとがふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケーの技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新なる言葉が新なる心の中に生れ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。

引用:パイドロス p.170

 

より具体的には、統合と分割という方法を使って話したり考えたりすることがディアレクティケーであると語っています。

ソクラテス 多様にちらばっているものを総観して、これをただ一つの本質的な相へまとめること。これは、ひとがそれぞれの場合に教えようと思うものを、ひとつひとつ定義して、そのものを明白にするのに役立つ。たとえば、さっきぼくたちは、エロースについて語るのに、まずエロースとはなんであるかを定義したのであるが、あのエロースについての話がうまかったかまずかったかは別として、少なくとも、この手続きのおかげで、あの話は明確で首尾一貫したことを語ることができたのだ。

引用:パイドロス p.133

具体例や考察しようとする対象を、一つに括り、定義する。前提を明確することで、一貫した話をする。これが統合。

 

ソクラテス いまの行き方とは逆に、さまざまの種類に分割することができるということ。すなわち、自然本来の分節に従って切り分ける能力をもち、いかなる部分をも、下手な肉屋のようなやり方でこわしてしまおうと試みることなく、ちょうどさっきの僕の二つの話がやったようにするのだ。つまり、あの二つの話は、まず精神の無分別というものを、ある一つの共通な種類のものとして把握した。つぎに、あたかも一つの身体から、一方は「左の……」、一方は「右の……」と呼ばれる一対の同名の部分が自然にわかれているように、心の錯乱というものもまたわれわれの中にある本来一つの種類のものと考えた上で、一方の話は、狂気の左側の部分を切り分け、さらにもう一度それを分割するというふうに続けて行き、最後にそれらの部分の中に、何か「左の(禍いの)恋」とでも名づけられるものを見出して、これにはなはだ正当な非難をあたえた。他方、もう一つの話のほうは、狂気の右側の部分へわれわれを導いて、前のと同じく恋と呼ばれるけれども、しかしこんどは何か神にゆかりある恋を見出し、それをわれわれに差し出したのち、われわれにとって最も善きものをもたらすものとして、この恋を賛美したのであった。

引用:パイドロス p.134

分割は、示すべき大命題を小さな命題に分解しながら論証していく方法。場合分け、ケース分けを、もれなく自然な方法で行っていく方法ですね。

 

定義によって問題の全体を一つにまとめ、言いたいことを分割して示していく。それが統合と分割、ディアレクティケーのやり方です。

数学の証明ではこのやり方はよく取られますが、「正義」のように人によってイメージするものが違うものを語る時に、ディアレクティケーが重要であることに間違いはありませんね。

パイドロス」を読むと、言葉を書いて残すこと以上に価値のあるもの、ものを知り、語れるようになることの大切さを学べますよ。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 

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