どうも、木村(@kimu3_slime)です。
先日書いた「疑似科学を否定しようとする「科学的」な目線が息苦しい」という記事が、はてなブックマークで取り上げられました。
ブログ記事での反応もありました。(参考:今日のイケダハヤト(2016-10-13)(3) – MechaAG、「科学的でない」と云うこと – Chromeplated Rat)
僕が話したかったのは、疑似科学の是非ではなかったのですが、書き方が悪かったのだと反省します。
ともかく、せっかくコメントをたくさんいただいたので、「疑似科学はどうして批判されるのか?」を整理して理解したいと思います。
嘘をつくな。人を騙して商売をするな
もっともわかりやすく、かつ数が多いのがこの理由です。
「疑似科学とされている商品は、科学的な効能がないにもかかわらず、それがあるかのように宣伝している。これは詐欺だ。」という主張。
不正な利益を上げるな。まあその通りですよね。当たり前です。
科学を不正に利用して、科学の信頼性を損ねるな
「実際は科学的ではないにもかかわらず、科学であるかのように宣伝している。これは科学の信頼を損ねている。」という主張。
科学者やエンジニアの人が主張する傾向がありました。
科学にフリーライドをするな。科学者の職業倫理として、許すわけにはいかない。科学の信頼を損ねないでほしい。その通りだと思います。
「お前大学は科学コミュニティ出身なのに、何言ってんだ」というコメントも見られました。疑似科学を批判し、科学への信頼を守ろうとする人が多い場所にいたからこそ、あの記事を書いたんですよね。
科学的な目線を持って販売を停止したところで、一般の消費者の科学リテラシーが上がるわけではないでしょう? 疑似科学を使った商品を売らないことではなく、科学的な活動を理解してもらうことを目指す方が建設的ではないか? と思ったんです。まあそうは書いていないので、批判されて当然の記事でした。
疑似科学が普及すれば、最悪人が死ぬ
僕が最も説得力があると思った理由は、「最悪、人が死ぬ可能性があるんだぞ」という主張。これなら疑似科学にセンシティブに反応する動機になります。
調べてみたところ、ホメオパシーにもとづく治療で、亡くなった人がいる事例はいくつかあるようです。恥ずべきことに、僕はこれらを知りませんでした。この点を指摘する人も非常に少なかったですが、重要な事実です。
参考:幼児向け薬、米で10人死亡、400人健康被害か 「ホメオパシー」でFDA調査
医学部出身のライターである朽木さんがTwitterで残した言葉がわかりやすかったので、引用します。
似非科学を見たときに似非科学だ!ということにしている理由は、科学を騙る似非科学に科学的根拠がないことを知った上でなおそれを信じるなら思想信条の自由だと思うけど、そうじゃない状態で似非科学を信じているならそれは自己決定をする上での判断能力が不十分だと思うからです。
— 朽木誠一郎 (@amanojerk) October 13, 2016
あとは、自己決定権を権利とするならその根拠とされる幸福追求権は、公共の福祉に反しない限り認められるから。似非科学の蔓延により人々の健康が損なわれる可能性がある以上、放置はできない。熱心なホメオパシー信者がいたとして、その子供が適切な医療を受けられなければ虐待に当たる可能性もある。
— 朽木誠一郎 (@amanojerk) October 13, 2016
倫理的な問題である以上は、「これが正しい」というはっきりした正解はないのだけれど、過去にもエホバの証人輸血拒否事件など、この手の議論は存在して、一定の見解が示されていることは知っておくべきでは。僕が似非科学を似非科学だと言うときは、社会に生きる人間の一人として発言しているつもり。
— 朽木誠一郎 (@amanojerk) October 13, 2016
何のために批判する?
「嘘をつくな」「科学の信頼を損ねるな」「最悪死ぬ可能性がある」
僕はこの中で、一番最後の理由づけに共感します。
不正を咎めるような立場でないにもかかわらず、不正を許さずに弾圧しようとする人が基本的に好きではありません。それで誰が幸せになるのでしょうか。法的な問題ならば、しかるべき権力で解決してほしいものです。
死人が出ることを防ぐ、人を守るために不正を咎めるのは、良い姿勢だと思います。もちろん、嘘をつく人を減らすことでも、科学の信頼を損ねる人を減らすでも人は守れるでしょうが、あまり直接的ではありません。人を攻撃する力は、人のために使いたいですね。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。