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「一人でも不快に思う表現はやめた方がいい」の元ネタ・初出は?

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どうも、木村(@kimu3_slime)です。

Twitterで見かける「一人でも不快に思う表現はやめた方がいい」というフレーズの元ネタ・初出が気になったので、調べてみました。

 

「一人でも不快に思う表現はやめた方がいい」の元ネタ・初出

「不快に思う人がいるから~」系の文章は、自然発生的に多く生まれています。

その中で、このロジックのおかしさをジョークにしたのが後藤 隆昭(@ryu_)さんによる2013年の次のツイートです。

「不快に感じる人もいる」という理由づけを正しいものとすると、その主張自体も不適切と認定できてしまうパラドックス。つまり、その論理がおかしいことをわかりやすく伝えてくれています。

 

「不快に思う人がいるならやめるべき~~」の話は、これ以降、Twitterで度々話題にあがっていきました。

最後のツイートのジェレミー・クラークソンの次の発言は人気です。

今日は貴重な意見をありがとう 参考にするつもりは毛頭ないけどね 私たちの企画に文句があるなら どうぞ遠慮なく黙っててください

引用:トップ ギア アンビシャス バット ラビッシュ (字幕版) – Amazon

「不快に思う人がいるならやめるべき」という議論が多いは、ネットの登場によって「やめるべき」という声があがりやすくなったことが一因ではないでしょうか。

実際に、CMにおける表現が問題となり炎上し、公開を取り消すケースは少なくありません。

ともあれ、誰か一人でも不快に感じたらダメというおかしな言説がまかり通る日本社会の息苦しさを改めて感じる出来事であった。

参考:Nippon:日清の広告中止 – Matimulog

 

「表現の自由」との関係

この議論にコメントしている人は、文章やイラストを作っている、何かしらの創作者・表現者が多いです。

この文脈では、「表現の自由」も話題にあがります。

日本国憲法第21条
第1項
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

しかし、今回のケースは該当しないものでしょう。表現の自由は、「国が」自由を侵害しないという話であり、個人の「やめるべき」という表明とは関係がありません。

最近では、特定の民族に対する差別的な言動、いわゆるヘイトスピーチと表現の自由が結びつけて論じられることが多いです。

参考:『ヘイトスピーチと表現の自由』 憲法21条 – NHK NEWS WEB

「不快に思う人がいるからといって、その表現をやめるべきではない」という議論は、ヘイトスピーチを促すことではないことに注意しましょう。ヘイトスピーチが取り締まるべきと考えられるのは、「個人が不快に思うから」ではありません。特定の民族を貶め、その人権を侵害するものだからです。

 

広告や創作物で見かける表現に「不快だな」と思うことは、誰しもあることでしょう。

しかしながら、「不快に思う人がいるから取り下げろ」という議論は、無茶がある。取り下げさせるならば、具体的に不快に思う人が少なくない(実在する)こと、差別的な表現である(感覚ではない)根拠が必要となるかと思われます。それがないならば、「私は不快に思った」という感想を表明すれば良いでしょう。

また、何かを表現する側も、必要以上に「不快に思う人がいる~」議論に怯え、自粛することはないでしょう。そして、「できるだけ不快な思いをさせないように気をつけて表現しよう」と考えるのも良いことです。もちろん、問題があった場合は撤回しごめんなさいする必要がありますが。

僕も、このサイト・記事を通じて発信をしています。当然、その内容が嫌われることもあります。批判することも、また自由です。ただし、嫌っている人よりは、好み応援してくれる人が多い。人の目を恐れすぎず、自分の好きなものを作ってみてはいかがでしょうか。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

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